ウェルカム礼拝 〜 Welcome Service

2019.9.8 礼拝メッセージ
「それで、アブラハムは神を信じた。それが彼の義とみなされた。」
「働く者のばあいに、その報酬は恵みではなくて、当然支払うべきものとみなされます。」(ローマ4:3~4)
「何の働きもない者が、不敬虔な者を義と認めてくださる方を信じるなら、その信仰が義とみなされるのです。」(ローマ4:5)
働く者には、その主人は報酬として賃金を支払う義務がありますが、何の働きもなくても、神を信じるなら義とみなされるのです。
私たちは自分の力でどうにかなると思っていますが、どうにもなりません。自分の犯した罪は、人間にはどうすることもできないのです。
ダビデは「不法を赦され、罪をおおわれた人たちは、幸いである。主が罪を認めない人は幸いである」(ローマ4:7~8)と言っています。
Point1: 人は自分の罪の結果から救うために何の働きもできない
羊飼いの子羊が一匹崖から落ち、途中の木に引っ掛かりました。子羊はもがき泣いていましたが、羊飼いは助けようとしませんでした。ある人が何故助けないのか聞いたところ、羊飼いは子羊が自分の力でどうにかしようとしているときは危険なので、自分の力ではどうしようもないと思うまで待つということでした。
自分の力では全く救われないと思ったとき、初めて神の存在を認め、自分の力の弱さを認めるのです。
Point2: 欠点だらけの私を認めて下さる方ということを信じる
私たちはなかなか神を認めようとしないもので、欠点の多い自分を自慢し、自分の力が必要だ、自分の力で生きている、自分はすごいなどと、周囲の人が支えているのを、迷惑が掛かっているのに気づきません。自分を傷つけるひとがいたら怒る。たとえ家族であっても・・・・。
私たち人間は本当に自分勝手です。しかし、神を信じみ言葉を受け入れるとき、そんなあなたでも罪が赦されます。
Point3: このキリストによる救いのゆえに罪を受け入れて下さった神を私たちは信じるなら、それによって私たちの罪は赦される
なぜ信じるということが大事なのか。聖書は信じなさいと何度も言っていますが何故それが重要でしょうか。
あなたは、自分の罪をどうすることもできません。あなたの罪をだれがカバーするのですか?だれもカバーすることはできません。私たちは自分の力で何とかしようとします。
でも神様は言われます。わたしはあなたが蒔いたもの全てを解決することができると。
わたしを信じなさい。わたしに任せなさい。
それが信仰です。
どうか、イエス・キリストを自分の神として受け入れ、義と認められる人生を歩んでください。