愛から出る赦し Forgiveness from Love

2019.10.13 礼拝メッセージ
ヨハネ8:1~11(姦淫の女の話)の話しから。
パリサイ人や律法学者が姦淫の場で捕らえられた一人の女を連れて来て、イエス様に詰めよりました。彼らはイエス様に罠をかけ倒そうとしました。
彼らの考えは、もし、イエス様がそんな女は殺してしまえと言うのであれば、死刑の権限は当時ローマ帝国にしかなかったので反逆罪になる。しかし、イエス様が赦すと言うならば正義を曲げた偽教師というレッテルが貼られる。このような罠にはめようとしました。
しかし、イエス様は、第一の選択も第二の選択でもない別の選択をされました。
(ヨハネ8:7参照)

Point1: 人は変わることはできないのか
人は変わることができるでしょうか、できないでしょうか。
パリサイ人たちは、姦淫の女を石打の刑にしていいかと言っています。しかし、イエス様はそのような見方ではなく、次のように言われました。
「あなたがたのうちで罪のない者が、最初に彼女に石を投げなさい。」
このイエス様の言葉は、ここにいる人たちやパリサイ人に届きました。
罪のない人はいますか?そうであれば、その人を裁いてください。しかし、人々は自分も罪人だと分かったのです。人は変われるのです。

Point2: 人生をやり直したい人は神に近づく必要がある
私たちは、何か罪を犯したとき負い目を感じるでしょう。聖書は何故罪を示すかというと、あなたに嫌がらせをしているのではなく、イエス・キリストがあなたに必要だと教えているのです。イエス様は、「あなたがたの中で罪のない者が石を投げなさい。」と言われます。
私たちの心の中に刺さります。パリサイ人たちは、年長者から離れていったとあります。
そして、最後に残ったのは女とイエス様だけでした。
何故イエス様は、この罪のある女を裁かず、罪を赦すことができたのでしょうか。
それは、イエス様が代わりに十字架にかかられ、彼女の罪を背負ったからこそ、彼女に赦しを伝えることができたのです。
人生をやり直したい人は、神様に近づく必要があります。神様はあなたを責めたいわけではなく、愛しているからこそ、あなたの身代わりにイエス様が十字架にかかられたのです。

Point3: 神様のもとに留まるときに救いがある
彼女が罪を犯したのは事実です。でも、彼女はイエス様のもとから離れませんでした。
何故でしょうか?
それは彼女が罪を赦してもらう必要があったからです。
周囲にいた人たちは、自分の罪を示されたのですが、悔い改めずイエス様のもとから去っていきました。
悔い改めない人は、その罪のゆえに神様から遠ざかっていきます。しかし、神様に本当に悔い改める人は、神様に近づいていきます。
何故でしょうか?
神様以外にあなたの罪を赦す方はいないからです。あなたの過去を解くのは神様だけです。だからそれを信じて神様のもとに留まるのです。その時、救いが訪れるのです。