神の栄光をあらわす生き方 A Way of Life That Represents The Glory of God

2019.10.27 礼拝メッセージ
神様の栄光をあらわすとはどのようなことでしょうか。
栄光とは、素晴らしい・偉大・力ということです。
イエス様は言われました。野の花を見なさい。花は神の栄光を着飾っている。その花を見るとき神の偉大さを見るのです。
私たちもこの花のように神様に栄光を現さなければなりません。私たちが神の愛を現していくとき、神の栄光が現われます。
今日のコアバリューはイエス中心です。また、神様が第一であり、人そして大地です。

Point1:誰からの栄誉を求めて生きるのか
聖書に一粒の麦が死ななければ、多くの実を稔らせることはできないとあります。私たちが自分の命を大切に守っていくならば、あなたの人生の中では何も起きません。
あなたがキリストのために命を捧げていくなら多くの収穫を得ることができるでしょう。
神様は私たちを素晴らしく創ったと聖書に書かれています。
「あなたの指のわざである天を見、あなたが整えられた月や星を見ますのに、人とは、何者でしょう。あなたがこれを心に留められるとは。人の子とは、何者なのでしょう。あなたがこれを顧みられるとは。あなたは、人を、神よりいくらか劣るものとし、これに栄光と誉れの冠をかぶらせました。」(詩編8:3~5)
あなたは誰からの栄誉を求めて生きていますか?
人からですか、神様ですか?

Point2: 神の栄光は私たちがキリストの弟子になって現される
キリストの弟子は何をするのか?
イエス様の言うことに従うことです。そして、神を愛し人を愛することです。
「あなたがたが多くの実を結び、わたしの弟子となることによって、わたしの父は栄光をお受けになるのです。」(ヨハネ15:8)
キリストの弟子になるということは、イエス様が歩まれた道を一緒に歩むということです。自分を捨て十字架を負い、彼が歩まれたように歩むということです。
私たちが自分の命を捨てるとはどういうことでしょうか。
それは、自分の考えを第一に置かないということです。自分の思いよりも神様の思い優先させることです。
イエス様は、ゲツセマネの園で自分の心の思いをつぶし、自分に死んだのです。
(マタイ26:36~42参照)

Point3:栄光は神の子として贖われるとき完全な形で現れる
「神の御霊に導かれる人は、だれでも神の子供です。あなたがたは、人を再び恐怖に陥れるような、奴隷の霊を受けたのではなく、子としてくださる御霊を受けたのです。私たちは御霊によって、「アバ、父。」と呼びます。私たちが神の子供であることは、御霊ご自身が、私たちの霊と共に、証してくださいます」(ローマ8:14~16)
イエス様にこれはわたしの子、これをわたしは喜ぶと言われました。御霊に導かれていく人は神の子です。
私たちの身体が完全に贖われるときにその栄光はもっと現わされます。