積極的に愛する教会 Part.2 〜Actively loving church Part.2

2019.10.20 礼拝メッセージ
Point.1:あなたの愛を積極的に表すこと
「人が、なすべき善を知りながら行わなければ、それは彼にとって罪である。」
(ヤコブ4:17)
私たちが思う罪は、殺人・強盗・窃盗・虚言など、人としてやってはいけないことですね。しかし、聖書には上記のようになすべきことを知っていながらそれをしない人、行わないなら罪であると言っています。
ではなすべき正しいこととは何でしょうか?
聖書は最初から最後まで言っています。
「神を愛し人を愛しなさい」
つまり、なすべき正しいことは、愛することです。
「世の富を持っていながら、兄弟が困っているのを見て、あわれみの心を閉じる者には、どうして神の愛が、彼のうちにあろうか。」(第Ⅰヨハネ3:17)
憐みを閉ざす者は、つまり憐みの心に蓋をすることです。あなたの愛を積極的に表していかなければ聖書は罪であると言っています。

Point2:あなたの憐みの心を開放する
聖書にはイエス様が栄光の座につかれた時、羊とヤギをお分けになるとあります。
羊はイエス様に従順についてきた人たちです。ヤギは羊に似ており、最初は一緒にいます。法律や物事に詳しいですが、心に蓋をして行動が伴いません。
マタイの福音書25:41~43に「呪われた者どもよ、わたしを離れて、悪魔とその使いたちとのために用意されている永遠の火にはいってしまえ。…」とあります。
また、ルカによる福音書10:25~37に律法学者がイエス様を試みようとしました。
イエス様は、律法を守っている人に良きサマリヤ人の話をされました。
ある人がエルサレムからエリコに下っていく途中、強盗に襲われ大けがをしました。祭司が来てその人を見たのですが何もせず、次にレビ人も見たのですが何もしませんでしたね。
サマリヤ人がやって来て、けがをした人を見て気の毒に思い、宿屋に連れていき介抱しました。始めの二人は憐みの心の蓋を閉めていましたが異邦人のサマリヤ人は、憐みの心の開放していました。

Point3:あなたも行って同じようにしなさい
異邦人のサマリヤ人とユダヤ人は敵同士でしたが、倒れているその人を見て気の毒に思いました。この正直な気持ちが大切です。そして、なすべき正しいことをしたのです。
イエス様は、律法の専門家たちにこの3人の中で、襲われた人の隣人は誰かと聞かれました。彼らは憐みをかけた人だと言いました。彼らもなすべき正しいことは知っているのです。人にはみんな憐みの心があるのです。だからイエス様は言われるのです。
分かっているならば、「あなたも行って同じようにしなさい」と。
「主は、わたしたちのために命を捨てて下さった。それによって、わたしたちは愛ということを知った。それゆえに、わたしたちもまた、兄弟のためにいのちを捨てるべきである。」(第Ⅰヨハネ3:16)